千葉地方裁判所 昭和53年(わ)1109号 判決 1981年2月06日
主文
被告人石丸修三を懲役四年に、同山屋隆一を懲役三年に、同日向均を懲役四年六月に、同根本信一を懲役五年に、同渡部有幸を懲役四年に、各処する。
未決勾留日数中、被告人石丸修三に対しては三六〇日を、同山屋隆一に対しては三〇〇日を、同日向均に対しては四五〇日を、同根本信一に対しては三〇〇日を、同渡部有幸に対しては一〇〇日を、それぞれその刑に算入する。
被告人山屋について、本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用中、証人北原鉱治に支給した分はその各五分の一宛をそれぞれ被告人石丸修三・同山屋隆一・同日向均・同根本信一・同渡部有幸の負担とし、証人永井利夫に支給した第一一回公判期日分はその各四分の一宛をそれぞれ被告人石丸修三・同山屋隆一・同日向均・同根本信一の負担とし、証人萩原毅・同本間盛男・同上原操・同相徳哲朗・同井上憲一・同山下清己・同伊藤健治・同宮野忠慰・同関口天治郎・同鈴木芳郎・同大須賀源司・同金沢実・同小出多〓男に各支給した分並びに証人永井利夫に支給した第八回及び第九回公判期日分はその各三分の一宛をそれぞれ被告人石丸修三・同山屋隆一・同日向均の負担とし、証人松岡明・同林文男・同斉藤登・同細川美智子・同神山茂雄に支給した分はその各二分の一宛を被告人石丸修三・同日向均の負担とし、証人永井利夫に支給した被告人渡部有幸に対する昭和五五年(わ)第一一四号事件第一回公判期日分は被告人渡部有幸の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人らは、いずれもいわゆる社青同解放派に所属し、かねてから新東京国際空港の建設に反対し、昭和五三年五月二〇日に同空港が開港した後も、その廃港をめざす闘争を支持していたものであるが、三里塚芝山連合空港反対同盟が提唱した同年六月から九月にかけてのいわゆる一〇〇日間闘争に呼応して、その一環とすべく、
第一 被告人根本信一・同石丸修三・同日向均・同渡部有幸は、永井利夫ほか多数の者と共謀のうえ、
一 昭和五三年九月一六日午後九時三〇分頃、千葉県成田市荒海字小橋七六番地付近から同市荒海六八二番地の一付近に至る間の路上において、新東京国際空港公団総裁大塚茂ら管理にかかる久住NDB(無指向性無線標識施設)及び一六RILS(計器着陸用施設)アウターマーカーの局舎及びこれに設置された設備・機器類、警備員詰所等の付属建物などの財産並びに同所警備員の生命・身体に対し、共同して危害を加える目的をもつて、前記の多数の者とともに、多数の火炎びん・鉄パイプなどの兇器を準備して集合した
二 前記日時頃、前同市荒海字小橋七六番地所在の前記久住NDB及び一六RILSアウターマーカー局舎敷地入口前の路上において、右敷地内に設けてある警備員小倉治郎・同伊藤健治・同宮野忠慰が現に住居に使用し、かつ右小倉及び宮野が現在する軽量鉄骨造平家建警備員詰所(床面積約九・七三平方メートル)及びこれに付属する木造立哨小屋(床面積約二・〇四平方メートル)に火炎びんを投げつけて焼燬するとともに右警備員らに危害を加えようと企て、右各建造物及び右警備員らに対し、多数の火炎びんを投げつけたが、たまたま右火炎びんがいずれも発火炎上しなかつたため、放火の目的を遂げず、かつ火炎びんを使用したが、他人の財産及び右警備員の生命・身体に危険を生じさせなかつた
三 前記日時頃、前同市荒海六八二番地の一先県道成田・滑河線(幅員約五・九メートル)道路上に自動車を置き、これに火炎びんで放火して炎上させ、右県道の往来を妨害しようと企て、亀井新史所有の普通乗用自動車(車長約四・二六メートル)一台を、右同所所在の細川昇方鉄骨トタン葺平家建作業場兼車庫(床面積約五五・五八平方メートル)から約五・三メートル離れた右県道上にややななめ横向きに置いたうえ、右自動車内外に多量のガソリンを振り撒き、同車内に点火した火炎びん三本を投げ込んで火を放ち、右自動車を燃え上らせて焼燬し、右県道上の交通を著しく困難にするとともに右作業場兼車庫、さらにはこれに隣接する右細川昇方木造トタン葺平家建物置(床面積約五五・二五平方メートル)や木造モルタル塗りトタン葺平家建住宅(床面積約四三・五平方メートル)など多数の建物に延焼するおそれのある状態を生ぜしめ、もつて公共の危険を発生させるとともに、陸路を壅塞して往来の妨害を生ぜしめ、かつ火炎びんを使用して他人の財産に危険を生じさせた
四 前記日時頃、前同市荒海一六一番地先の道路において、成田電報電話局長和田治夫管理にかかる地蔵支線一号柱荒海支線(市内ケーブル一〇〇回線)のうち一一回線を金鋸様の器具で切断し、もつて有線電気通信設備である電話線ケーブルを切断し、有線電気通信を妨害した
第二 被告人山屋隆一は、前同年八月上旬頃、千葉県市原市君塚七七七番地所在の河辺憲治方において、同被告人と同じ大日本インキ化学株式会社千葉工場に勤務し同様前記社青同解放派に所属していた前記永井利夫に対し、「今度空港関係施設のゲリラ戦がある。集会が九月一七日にあるので、その近くでやるから参加してくれないか。休暇を取つておくように。」などと申し向け、更に同年八月下旬頃、右河辺方において、右永井利夫に対し、「小屋(大清小団結小屋の意)に一四日の夜か一五日の朝までに行くように。」などと申し向けて、兇器準備集合・火炎びんの使用・放火の各所為を含む空港関係施設に対するゲリラ戦の遂行をそそのかし、よつて同人にその旨の決意をさせ、同人をして右決意に基づき、同年九月一四日、前記大清水団結小屋に赴かせ、前記のように、被告人根本信一・同石丸修三・同日向均・同渡部有幸ほか多数の者と共謀のうえ
(一) 前記第一の一記載の如く、同記載の日時・場所において、前記新東京国際空港公団総裁大塚茂ら管理にかかる久住NDB及び一六RILSアウターマーカーの局舎及びこれに設置された設備・機器類、警備員詰所等の付属建物などの財産並びに同所警備員の生命・身体に対し、共同して危害を加える目的をもつて、前記の多数の者とともに、多数の火炎びん・鉄パイプなどの兇器を準備して集合させ
(二) 前記第一の二記載の如く、同記載の日時頃、同所所在の前記アウターマーカー局舎敷地入口前の路上において、右敷地内に設けてある警備員小倉治郎・同伊藤健治・同宮野忠慰が現に住居に使用しかつ右小倉及び宮野が現在する前記警備員詰所及びこれに付属する前記木造立哨小屋に火炎びんを投げつけて焼燬するとともに右警備員らに危害を加えようとする意図のもとに、右各建造物及び右警備員らに対し、多数の火炎びんを投げつけさせたが、たまたま右火炎びんがいずれも発火炎上しなかつたため、放火の目的を遂げず、かつ火炎びんを使用したが他人の財産及び右警備員の生命・身体に危険を生じさせず
もつて右各所為の教唆をした
ものである。
(証拠の標目)(省略)
(弁護人らの主張に対する判断)
第一 公訴棄却の申立について
弁護人らは、被告人山屋に対する本件公訴事実は、そこに記載された教唆文言、即ち「今度空港関係の施設のゲリラ戦がある。日としては集会が九月一七日にあるからその辺でやる。君にも出てもらいたいので、そのころ休暇を取つておいてくれ。」「小屋(大清水団結小屋の意)から電話があつたが、九月一四日の夜か九月一五日に小屋に行つてくれ。」なる文言では、未だ特定の犯罪の教唆と認めるに足るものではなく、従つて罪となるべき事実を包含していないものであり、又仮に然らずとするも立証するに足る嫌疑を明白に欠くものであるから、その公訴を棄却すべきである旨主張するが、後記第二で詳述するとおりの理由により、右の如き内容の言辞によつても、判示第二記載の如き前記永井利夫に対する教唆行為を認定するに欠けるものではないと思料されるので、弁護人らの前記主張は理由がなく、又その他関係各証拠によるも被告人山屋に対する本件公訴を棄却すべき事由を認めることができないので、この点における弁護人らの主張は採用できない。
第二 教唆行為について
弁護人らは、被告人山屋の判示第二記載の教唆行為に関して、その唯一の証拠ともいえる証人永井利夫の当公判廷における供述は、信用性に欠け、又仮に信用し得るとしても、それによつて認め得る程度の同被告人の言辞では未だ教唆というに該らず、いずれにしても、同被告人は無罪である旨主張するので、以下順次判断する。
一、先ず、弁護人らは、証人永井利夫の当公判廷における供述は、同人が昭和五三年三月及び五月の道路封鎖事件に参加していたことや、当時大日本インキ化学千葉工場の社青同解放派のグループが集合すべき部屋を同人名義で借りていたことなどを極力隠そうとし、また当時同グループにおいては同人が班長であつたのにもかかわらず、被告人山屋が同グループのリーダーであり、同被告人との間に組織的な上下関係があつた旨の供述をするなど、自己の刑事責任を軽くするために自己の主導的な立場を薄め責任を被告人山屋に転嫁しようとする傾向が窺われるばかりか、昭和五三年八月には前記社青同解放派グループの定例会議が前記永井利夫名義で借りていた部屋で行なわれているのに、これを殊更に否定し、被告人山屋から判示第二記載の河辺憲治方に呼び出されて同記載の如く教唆された旨の偽証までなしているものであつて、到底信用できない旨主張する。
しかし、右証人永井利夫自身、本件の事案によつて起訴され、当公判廷における供述をなした時には、既に千葉地方裁判所において、懲役三年、四年間執行猶予の刑に処せられ、その判決も確定していたことは当裁判所に顕著な事実であり、とすれば他に格別の事情も窺えない以上、同証人が自己に対する処罰が右の様に確定した後もなお虚偽の供述をなしてその刑責を軽く見せようとする必要は毫も存しないうえ、その供述全体をみても決して自己の犯行を矮小化している訳ではなく、また前記大日本インキ化学千葉工場の社青同解放派グループの会合が主に永井利夫名義で借りていた部屋で行なわれていたとしても、同グループ内におけるあらゆる接触が常にその部屋で行なわれていたと推認させるものではなく、しかも本件の如き犯行は通常秘密裡に準備・遂行されるものと考えられ、加えて前記グループからは永井利夫だけが犯行に加わつていることからすれば、本件に関する永井利夫と被告人山屋との接触は同グループ全体としての活動と同様に断ずることはできず、従つて判示第二の被告人山屋による教唆行為が永井利夫名義の部屋ではなく、前記河辺方においてなされたとする証人永井利夫の供述は決して不自然なものとは認められず、その他同証人の供述態度や供述内容全体としての整合性を併せ考えると、その供述が、偽証にあたるとか信用性に欠けるとかいうことは到底できないところである。
他方、被告人山屋の当公判廷における供述について考えてみると、同被告人は、永井利夫は同被告人の関知しない別個独自のルートを有し、それによつて本件犯行に加わつたものと思われる旨、又昭和五三年八月に行なわれた大日本インキ化学千葉工場の社青同解放派グループの会合の際、永井利夫から何時大清水団結小屋に行つたら良いか尋ねられたので、九月一七日の二、三日前に行つたら良いと助言した旨各供述しているが、仮に永井利夫が同被告人の関知しない別個独自のルートを有していたとするならば、同人はそのルートに従つて問い合せるのが普通であり、関係のない被告人山屋に尋ねることは不自然であるばかりか、同被告人にしても前記のような内容の助言をなし得る立場にはない筈であつて、同被告人の前記各供述は容易には措信できないものといわざるを得ない。
以上の諸点を併せ考えると証人永井利夫の当公判廷における供述は十分に信用できるものというべく、弁護人の前記主張は理由がない。
二、次いで、弁護人らは、仮に右証人永井利夫の供述が信用できるとしても、教唆行為とは、他人に犯罪を実行する動機を喚起するものであり、その方法は問わないものであるが、その方法を問わぬことと教唆の内容の曖昧さを混同してはならず、あくまでも特定の犯罪行為に対する動機の設定に向けられているものであることを要し、漫然と何らかの犯罪をなせと命ずるだけでは足りないものであつて、従来教唆犯の成立を認めた判例においても正犯者がなすべき犯罪行為は相当程度に特定されているものであるところ、証人永井利夫の供述にあらわれた前記程度の被告人山屋の言辞では、正犯者である永井利夫のなすべき犯罪行為は何ら特定されていないので教唆行為には該らず、また永井利夫の犯罪実行の決意の点においても、同人は被告人山屋の指示の有無にかかわらず既に本件の如き闘争に加わる意思を有していたものであり、仮にそうでないとしても、他の共同実行者らとの共謀によつて、その時点で初めて本件犯行を決意したもので、被告人山屋の言辞によつて本件犯行を決意したものではなく、被告人山屋の所為と永井利夫の犯行との間には因果関係を欠くものであるから、いずれにしても被告人山屋について教唆犯が成立するものではない旨主張している。
そこで、まず被告人山屋の言辞が教唆行為に該当するか否か検討する。同被告人の永井利夫に対する言辞についてみると、証人永井利夫の当公判廷における供述によれば、同人は判示第二記載の如く、昭和五三年八月上旬頃、被告人山屋から「今度空港関係施設のゲリラ戦がある。集会が九月一七日にあるので、その近くでやるから参加してくれないか。休暇を取つておくように。」と言われたほか「機関誌を読んでおくように。」「家を整理しておくように。」と言われ、更に同月下旬頃には同被告人から「小屋に一四日の夜か一五日の朝までに行くように。」と言われたことがそれぞれ認められるところであり、右供述が措信し得るものであることは前述したとおりであり、そして右の文言自体には、いわゆるゲリラ戦が行なわれる日が一応は表示されているものの、その犯罪行為の具体的な内容が表示されているとは言い難いところである。
しかして、教唆行為とは、特定の犯罪を実行する決意を生ぜしめる行為であつて、指示・命令・嘱託・慫慂・利益の提供等その手段・方法は問わないものであるが、特定の犯罪を実行する意思を生ぜしめるものであるから、犯罪の日時・場所・客体・方法等の細部にいたる迄逐一明示する必要はないものの、教唆者の言動その他の事情によつて終局的に被教唆者が実行すべき犯罪を認識できその決意をすることができることを要するものであり、かつ、それをもつて足るものと解されるので、例えば符牒や断片的な言辞のようにその文言自体からは実行すべき犯罪が特定されていなくても教唆者・被教唆者間において諸般の事情からその意味内容が認識でき犯罪を特定し得る場合や、教唆者の言動によつてはいまだ実行すべき犯罪が特定されなくても教唆者・被教唆者間において認識予見される事実の発生・他の者の言動等とあいまつて右犯罪が特定される場合等でも足るものというべきである。
そこで、進んで、前記のような被告人山屋の言辞が、同被告人と永井利夫との間でどのような意味内容のものとして認識されていたかについてみるに、証人永井利夫の当公判廷における供述によれば、同人や被告人山屋が所属していた前記大日本インキ化学千葉工場の社青同解放派グループでは、月に二回程度の割合で集まつて、いわゆる組合活動のほか、雑誌や機関誌の読み合せをしたり、三里塚闘争の方針についての話し合いをしていたこと、なかでも昭和五三年五月二〇日の新東京国際空港の開港後は、当時各党派でなされていたゲリラ戦の連続闘争について話し合われ、具体的には、同年五月二〇日の第四インターによる山田レーダーサイドに対する襲撃事件や、社青同解放派による鹿島パイプラインへの攻撃等が話題となつたこと、そして永井利夫は、右のような話し合いや従前の三里塚闘争の闘争形態、更に同人自身が参加した同年三月・五月の道路封鎖事件の経験等に照して、被告人山屋から前記のように申し向けられた際、同被告人のいう「空港関係施設」とは、新東京国際空港に関連するパイプラインや鉄道等の航空燃料等の輸送系列、空港の直接の施設、レーダー関係等の無線施設等を意味するものとして、「ゲリラ戦」については、一般的には火炎びんを使用しての施設に対する炎上攻撃(従つて、当然に放火行為を包含するものとして把握されていたもので、しかもその対象から現住建造物を特に除外して認識していたものとは認められない。)のほか、右各施設の相違に応じて道路や鉄道の往来妨害・火炎車による施設等への突入・各種の施設や設備等の損壊をも含むものとして、又「小屋」については社青同解放派の三里塚現地での拠点ともいうべき大清水団結小屋を指すものとして、それぞれ認識していたことが認められるところである。
そして、永井利夫がこの様に認識したことが右に述べたような理由に基づくものである以上、同人と同じグループの構成員として共に活動してきた被告人山屋について他に格別の事情の窺えない本件にあつては、同被告人もまた右永井利夫と同様の認識を有していたものと推認するのが相当である。
従つて、被告人山屋の言辞は前記のようなものであつても、同被告人及び永井利夫の間では共にそれは、右に述べたような意味内容をもつものとして認識されていたものということができる。
そして、右の如き認識内容では、いくつかの闘争の類型、換言すればいくつかの犯罪類型を把握することができるものの、果してそのいずれを参加・実行すべきかについては未だ具体化していないものではあるが、右永井利夫の当公判廷における供述によれば、同人は前述の様に被告人山屋の指示に従い昭和五三年九月一四日前記大清水団結小屋に赴き、翌一五日の午後同所で被告人根本から本件犯行計画についての指示・説明を受けて初めて、実行すべき犯行の対象・方法・日等を具体的に知つたものの、本件の全証拠によつても、被告人山屋及び永井利夫において、前記の犯罪類型の内のいずれかについては容認しない、あるいはその中のいずれかでなければ容認しないというような制限的な意図を有していたとの事情は何ら窺えないこと、証人永井利夫の当公判廷における供述によつて認められる、前述の被告人山屋の「小屋に(昭和五三年九月の)一四日の夜か一五日の朝までに行くように」との言辞及び大清水団結小屋において、昭和五三年九月一五日の午後被告人根本が前述のように永井利夫らに対して本件犯行についての指示・説明をした際の同被告人の「今日やる予定だつたが中止になつた。明日やる。」旨の言辞、いわゆるゲリラ戦の秘密性並びに関係証拠によつて認められる大清水団結小屋の社青同解放派での位置づけ、他に永井利夫に対しその犯行について指示すべき立場にあつた者の存在が窺えないこと等からすれば、被告人山屋及び永井利夫とも、永井利夫が被告人山屋の指示に従い前記大清水団結小屋に赴き、そこで指示・説明等を受けることにより、前述のいくつかの犯罪類型の埓内で犯行が特定されることを、当然のこととして認識予見し、かつそれを容認していたものと認められるところである。
そうすると、かかる認識予見のもとにそれを容認してなされた被告人山屋の前記の言辞はこれに基づいて正犯者である永井利夫のなすべき犯罪行為を特定し得るものであり、従つて教唆行為と認めることができるものである。
そして、次に右永井利夫の犯行の決意時期についてみるに、証人永井利夫の当公判廷における供述によれば、同人は昭和五三年八月上旬頃、被告人山屋から前記のように申し向けられるや、これに参加し犯行に加わることを決意し「やりましよう」と答え、その意思を明らかにしたものであることが認められ、右認定と相反するような格別の証拠は存しない。もつとも、同人はすでにその以前にも同年三月・五月の各道路封鎖事件に参加し、要請があればかかる実力闘争に参加する意思を有していた旨も供述しているものであるが、その供述の趣旨からみると、漠然たる心構という程度にとどまり、未だ具体的な判示第一の如き犯行の実行を決意していたものと認めることはできず、また同人は前記のように九月一五日の午後、大清水団結小屋で、被告人根本から本件犯行についての指示・説明を受けて具体的にその内容を認識したものではあるが、前述の様にそのこと自体被告人山屋の指示に基因するものであり、被告人山屋の前述の様な言辞と永井利夫の本件犯行の決意及びその実行との間には因果関係の存することは明らかである。
従つて、被告人山屋について教唆犯が成立しないとする弁護人らの前記主張はいずれも理由がなく、採用し得ない。
第三 共謀について
一 被告人根本・同渡部について
弁護人らは、被告人根本・同渡部について
同被告人らが、昭和五三年九月一五日に大清水団結小屋においてなされた判示第一の各犯行の事前共謀の席にいたとする証人永井利夫の当公判廷における供述は、前記第二の一記載のとおり信用できない。仮に然らずとするも、本件において攻撃の目標とされたのは荒海アウターマーカーの局舎・機器等であつて、附設の警備員詰所や立哨小屋及び警備員らはその目標となつていないものであるから、判示第一の一の事実については警備員らの生命・身体に対する共同加害の目的は成立せず、また判示第一の二の事実については現住建造物放火(結果は未遂)の共謀は存しないものであり、仮に永井利夫自身にその供述するような未必の故意があつたとしても、右被告人らについて未必の故意を認めうる証拠は何もないところであり、更に判示第一の三の事実については、前記事前共謀の席では炎上させる自動車の停車場所やその周囲の状況について具体的な指示がなされていないので、右被告人らには建造物等以外放火罪の成立に必要な公共の危険の発生を認めるに足る客観的状況を認識し得る事情がなく、従つてその点についての共謀も成立しない等の旨主張する。
そこで判断するに、証人永井利夫の当公判廷における供述が信用できないとする弁護人らの主張が認められないことは既述のとおりであり、それは被告人山屋による教唆に関する事実以外の事実についても同様である。
そして、右永井利夫の供述によれば、昭和五三年九月一五日の午後、前記大清水団結小屋で、永井利夫及び被告人渡部を含む五人の者が被告人根本に呼び集められ、その席で被告人根本から本件犯行の全容についての説明を受けたこと、この際被告人根本から、荒海アウターマーカー及びその周辺の略図を示されたうえで、同アウターマーカーの局舎は新旧二つのフエンスで囲まれ、敷地内の局舎の脇には警備員詰所があつて二、三人の警備員がいること、右フエンス、特に新しく作られたものは相当の高さがあるので、火炎びんは道路側からフエンス越しに上に高くあげて投げ込むことなどの説明がなされ、右警備員及びその詰所等については格別の指示等はなされなかつたこと、そして出席者からそれでは火炎びんが局舎の周りにしか落ちないとして梯子を用いる方法が提案されたこと等が認められ、これによれば主たる目標は右アウターマーカー局舎・機器等と認められるものの、右被告人らが右局舎・機器等以外のものは攻撃対象から除外してこれを攻撃しないという意思や警備員の制止に従う意思を有していたとは認められず、前記証拠の標目欄掲記の各証拠により認められるアウターマーカー局舎及びその敷地の広さ、局舎と警備員詰所等の位置・距離関係等、更に永井利夫自身右被告人根本の説明等を聞いて警備員の生命・身体に危害が及ぶことがあつてもやむを得ないと考えたこと等に照らすと、少なくとも、警備員らの生命・身体に対する未必的な共同加害の目的及び警備員詰所等に対する現住建造物放火についての未必の故意を有していたものと認めるのが相当である。
また、判示第一の三の事実についても(刑法第一一〇条第一項の建造物等以外放火罪の故意の内容に「公共の危険の発生」の認識を含むか否かについては、判例はこれを不要とし、学説のうちこれを必要とするものと対立しているところであるが)証人永井利夫の当公判廷における供述によれば、前記の様に大清水団結小屋で被告人根本から指示説明を受け判示第一の各犯行の事前共謀を遂げた席では道路封鎖地点を具体的には決めなかつたものの、前述の荒海アウターマーカーのほぼ南方にある三差路から県道成田滑河線を少し南下したあたりに自動車を停車させガソリンと火炎びんを用いてこれを炎上させて右道路を封鎖する、右県道のその附近沿線には何軒かの民家が存在するであろうとの話が出たことが認められ、該犯行に際し右民家の存在している個所は避けるとの話は出なかつたことが窺われることと、判示の如き右道路の幅員・使用する自動車の車長やその自動車にガソリンを振り撤き火炎びんを投てきして炎上させるという犯行態様を併せ考慮すれば、前記被告人らは右自動車の停車位置即ち道路封鎖地点の如何によつては、周辺の民家等との関係において公共の危険が発生する可能性があることを十分に認識し、かつこれを容認していたものと解するのが相当であつて、(いずれにせよ)建造物等以外放火の故意があつたものということができるところである。
従つて、弁護人らの前記主張は、いずれも理由がない。
なお、被告人渡部について、弁護人らは後述する被告人日向と同様、本件犯行前に集まつた千葉県香取郡多古町付近の山林から、荒海アウターマーカーには向かわずに帰つた可能性があり、本件第一の各実行行為に関与したことを積極的に認定することはできないとも主張しているものであるが、右主張が採用できないことは被告人日向について次項で述べるところと同様である。
二 被告人日向について
弁護人らは、被告人日向について、同被告人が、仮に証人永井利夫が当公判廷で供述するように、同人及び被告人渡部を、大清水団結小屋から、共犯者とされる者らが集結した千葉県香取郡多古町付近の山林迄案内したとしても、被告人日向が判示第一の各犯行に関与したとする積極的な証拠はなく、右の者らが荒海アウターマーカーに向け出発する際に、これに加わらずに帰つた二、三名の者の内に、同被告人が入つていなかつたとの立証もないので、同被告人について判示第一の各犯行についての現場共謀を認めることはできず、また、被告人日向は、前記昭和五三年九月一五日の大清水団結小屋における事前共謀には出席しておらず、仮に前述のように永井利夫及び被告人渡部を案内して行つた前記多古町付近の山林で、共犯者とされる者が集結した後にその中の何人かが「荒海アウターマーカーを襲撃に行くぞ。」との言葉を発したとしても、これをもつて被告人日向が判示第一の各犯行の共謀に関与していたとすることはできないので同被告人にはその事前共謀もない旨主張する。
そこで按ずるに、証人永井利夫の当公判廷における供述によれば、同人と被告人渡部は、昭和五三年九月一六日の午後四時か五時頃、被告人日向に呼ばれ、同被告人の案内で、大清水団結小屋を出発し国鉄成田駅前を経由してバスで多古町まで行き、同町のバス停の所で迎えに来た小型乗用車に乗つて午後七時半頃前記多古町付近の山林内の集結地点まで赴いたこと、そこで同人ら三人は、既に同所に来ていた者達と共に、右山林内の道路脇の窪地で待機していたところ、しばらくして、右道路に判示第一の三の犯行に使用される普通乗用車と判示第一の二の犯行のための幌付トラツクとが到着し、前記小型乗用車の後方に順次停車したこと、そして右道路上から「全員あがれ」との指示があつたので被告人日向・同渡部及び永井利夫を含む右窪地に待機していた者全員が道路上にあがり、被告人日向・同渡部は後方の右幌付トラツクの方へ、右永井利夫はその前に停まつていた右普通乗用車の方にそれぞれ行つたこと、そして右永井利夫は被告人石丸とともに、右普通乗用車前方の道路左端に置いてあつた火炎びんとガソリン入りポリ容器を同車に積み込む作業をし、その後同車の前に停まつていた前記小型乗用車が二、三人の者を乗せて同所から走り去つたこと、なお山林内の右道路は幅員が狭くそのうえ前述の様に自動車を停めていたので、前述の積み込み作業をしていた永井利夫の傍を仮に誰かが通れば同人に容易にわかる状況にあつたが、同人はその様な者に気付いていないこと(この点について同証人は当初幌付トラツクの方から二、三人の者が前方の小型乗用車の方に行つたことがあるが如き供述をしていたが、それは小型乗用車に二、三人の者が乗つて走り去つたことからその様に推測しただけにすぎないことはその供述により明らかである)、そして残つた者はそれぞれ乗車し、判示第一の四の犯行と見張りのために用意された原動機付自転車を先頭に、右普通乗用自動車・幌付トラツクの順で右山林を出発し犯行現場に向かつたこと等がそれぞれ認められ、これによれば右普通乗用車の後方に停車していた幌付トラツクの方に行つた被告人日向・同渡部が、右普通乗用車の傍を通つて前記小型乗用車におもむき、これに乗車して立去つたものとは認められず、また他に右被告人らが前記山林に集結した後、途中から離脱して判示第一の各犯行に加わらなかつたと認めるに足る特段の事情の存在を窺わせるに足る証拠は何も存在していないこと、後記の如く被告人渡部は、弁護人らにおいて作戦会議と呼ぶ前記の大清水団結小屋における被告人根本からの判示第一の各犯行についての指示・説明を受けた席で、判示第一の二の犯行を担当する様に指示されていたものであること等を併せ考えると、被告人日向・同渡部は判示第一の各犯行に関与したものと認めるべきであり、従つて同被告人らが判示第一の各犯行に関与したとは認められないとする弁護人らの主張は採用することができない。
次に、判示第一の各犯行についてみると、荒海アウターマーカーへの直接の攻撃を内容とする判示第一の二の犯行が主たるものであり、判示第一の三及び四は、道路を封鎖しあるいは電話線を切断する等して、右第一の二の犯行の遂行並びに犯行後の逃走を容易ならしめんとするものであり、判示第一の一の犯行は右犯行の予備的要素を持つもので、これらの各犯行は有機的・計画的に一体となつて立案され、遂行されたものと理解されること、証人永井利夫の当公判廷における供述によれば、被告人日向は出席してはいなかつたが、弁護人らにおいて作戦会議と呼ぶところの昭和五三年九月一五日の大清水団結小屋における被告人根本の判示第一の各犯行についての指示・説明の際には、同被告人から右永井利夫・被告人渡部を含む五人程の者に対し、荒海アウターマーカーの局舎・敷地を中心とする周辺の略図及び右局舎の側面図を示して、自動車を右アウターマーカー付近の三差路よりやや南の県道上に横付にして、これをガソリン及び火炎びんで炎上させて道路を封鎖する、原動機付自転車に乗つた者は電話線を切断し北方久住十字路方向の見張り役をつとめる、他の者はトラツクを利用しこれに積載していく梯子・ガソリン・火炎びんを使用して右アウターマーカーを攻撃する、道路封鎖に従事したものは逃走に際しては右トラツクに乗車する等、個々の担当部分だけではなく判示第一の各犯行の全容についての説明がなされたうえ、永井利夫は前述の道路封鎖に使用する自動車を運転し、その余の被告人渡部らは右アウターマーカーの攻撃に参加すること及び集合はある所に翌日午後八時頃との指示がなされ、翌一六日被告人日向は永井利夫及び被告人渡部を前述の様に案内して、集合場所である前記多古町付近の山林におもむき、同所に集結した者らと待機し、合図に従い永井利夫は前記の普通乗用車に、被告人日向は被告人渡部と共に幌付トラツクにそれぞれ向かつたものであることが認められること等からすれば、右九月一五日の大清水団結小屋の前記の席に出席していなかつた者については右と異なり判示第一の各犯行の全容が知らされなかつたような事情が何も窺えない本件にあつては、少なくとも判示第一の各犯行に現実に加わつた者は、事前にその全容即ち判示第一の一乃至四の各事実について知悉し、それについての共謀が成立していたものと認めるのが相当であり、従つて被告人日向についてその事前の共謀がなかつたとする弁護人らの主張も又理由がなく採用し得ない。
三 被告人石丸について
弁護人らは、被告人石丸についても、同被告人は前述の九月一五日の大清水団結小屋での作戦会議に出席しておらず、他に同被告人が何らかの共謀をなしたとする証拠もないので、判示第一の一、二及び四の各犯行についての共謀は認められないものである旨主張している。
しかしながら、前述の様に、判示第一の一乃至四の各犯行は有機的・計画的に一体となつて立案・遂行されたものと理解され、昭和五三年九月一五日の大清水団結小屋での指示・説明の際、被告人根本から出席者に対し、個々の担当部分だけではなく判示第一の各犯行等の全容についての説明がなされたうえ、永井利夫は道路封鎖に使用する自動車を運転するように等指示されたこと、又証人永井利夫の当公判廷における供述によれば、前述の様に同人らが合図に従い待機していた窪地から道路にあがり、同人が前記普通乗用車におもむいた際、同所で新たな指示があつたとは窺えないのにもかかわらず被告人石丸も同車におもむき、ガソリン入りのポリ容器や火炎びんを同車に積載する作業に従事し、何人かの「これから荒海のアウターマーカーへの攻撃をする」との発言を聞いて永井利夫の運転する普通乗用車の助手席に乗り、同所を出発したほどなくから判示第一の二の犯行に利用された幌付トラツクに追尾して進行し、右トラツクが左折した前記荒海アウターマーカーのほば南方にある三差路では、運転している右永井利夫に対して右折するよう申し向け、更に判示第一の三の犯行を実行した後はその時点で特段の指示等があつたと窺えないのにもかかわらず、前記幌付トラツクに同乗して逃走すべく、右トラツクが駐車している筈であつた前記荒海アウターマーカー前に向かつたことが認められること等からすれば、被告人石丸は前述の大清水団結小屋での弁護人らのいう作戦会議には出席していないものではあるが、これに出席した者と異なり判示第一の各犯行等の全容が同被告人に知らされていなかつたような事情が何も窺えない本件にあつては、少なくとも事前にその全容即ち判示第一の三のみならずその余の判示第一の各犯行についても知悉し、それについての共謀が成立していたものと認めるのが相当であり、従つて弁護人らの本主張も又採用できない。
第四 兇器準備集合罪について
弁護人らは、本件において攻撃の目標とされたのは荒海アウターマーカーの局舎・機器等であつて、附設の警備員詰所や立哨小屋及び警備員はその目標となつていないので、警備員らの生命・身体に対する共同加害目的はなく、従つて兇器準備集合罪はその目的に関しては成立しないものである旨主張する。
しかし、前記第三の一に記載のとおり、主たる目標は右アウターマーカー局舎・機器等と認められるものの、被告人らが右局舎・機器等以外のものは攻撃対象から除外して、これを攻撃しないという意思や警備員の制止に従う意思を有していたとは認められず、アウターマーカー局舎及びその敷地の広さ、局舎と警備員詰所等との位置・距離関係等、そして前記永井利夫自身前記被告人根本の説明等を聞いて警備員の生命・身体に危害が及ぶことがあつてもやむを得ないと考えたこと等に照らすと、被告人らは、未必的には警備員らの生命身体に対する共同加害の目的を持つていたものと認めるのが相当であり、従つて弁護人らの本主張も又採用し得ない。
第五 現住建造物放火未遂罪について
弁護人らは、判示第一の二及び第二の(二)記載にかかる本件立哨小屋は、その構造上建物とはいえないものであり、また、被告人ら判示第一の二の犯行に加わつた者は、元来真にアウターマーカーを炎上焼燬させる意思はなく、単にその敷地内に火炎びんを投げ込むだけの意思を有していたにすぎないものであつたが、周辺に張られた金網が高かつたため、投擲した火炎びんがたまたま建物に当つたにすぎないので、放火の故意を欠くものであり、従つて現住建造物放火未遂罪は成立しない旨主張する。
しかしながら、前掲各証拠によつて認められる右立哨小屋の規模・構造等に照らせば、十分に建造物と認めるに足るものであると同時に、その機能・位置などに照らすと本件警備員詰所の付属建物と解し得るものであり、又(弁護人らのいう「建物」は何を指すか明らかではないが)前記第三の一に記載のとおり、被告人らはアウターマーカー局舎並びに警備員詰所及びこれに付属する立哨小屋に火炎びんを投擲し、これらを炎上・焼燬しようとしたことは明らかであるから放火の故意を認めるに十分であり、従つて、弁護人らの本主張も又採用し得ない。
第六 建造物等以外放火罪について
弁護人らは、判示第一の三の事実中の建造物等以外放火の所為は、その犯行当時は雨あがりでかつ無風状態であつたこと、炎上した車両と判示にかかる各建物との距離は鉄骨トタン葺平家建作業場兼車庫を除いては遠く、また右作業場兼車庫はその構造に照らして不燃性の建物といえること、更に本件炎上車両の火力・炎上の状況等からすると判示各建物への延焼の可能性は認められないので、公共の危険は発生していないというべきであり、従つて建造物等以外放火罪は成立しない旨主張する。
よつて按ずるに、前掲の司法警察員萩原毅・同松岡明各作成の各実況見分調書及びその各実況見分調書の訂正についてと題する書面、証人神山茂雄・同細川美智子の当公判廷における各供述によつて認められる周辺・近隣の建物等の位置・状況、判示の如く本件炎上車両から約五・三メートルの距離にあつた細川昇方の鉄骨トタン葺平家建の作業場兼車庫は、一部を除いてはなかば炎上車両にむいた方向も含め側壁はなく、内には土木作業用の器具・材料のほか天井部分には角材様の木材数十本が収納されていたものであること、右作業場兼車庫と道路との間にはいわゆるポンコツ車両も置かれていたものであること、本件犯行は判示の通り普通乗用車の内外にガソリンを振り撤いたうえ、点火した火炎びん三本を投げ込み炎上焼燬させたもので、その炎上の際の火力は炎が約三メートルもの高さにまで及んだという強いもので、右炎上車両の燃料に引火して爆発するおそれが相当に高く、目撃者らもその結果判示の建造物等に延焼する危険を感じたこと等を併せ考えると、弁護人の主張のように、当時はたまたま雨あがりで無風状態であつたとしても、刑法第一一〇条第一項に規定する「公共の危険」を発生せしめたと認めるのが相当であり、従つて弁護人らの本主張も又採用し得ない。
第七 往来妨害罪について
弁護人らは、判示第一の三の事実中の往来妨害の点について、判示県道成田・滑河線の本件アウターマーカーに向かう車線部分は、本件炎上車両を横向きに駐車させたためその交通が困難になつてはいるものの、反対側の新東京国際空港に向かう車線は通行が可能だつたものであり、現に、証人関口天治郎の当公判廷における供述によれば、同人は何の支障もなく同所を自動車で通過しているものであるから、未だ交通を不可能もしくは著しく困難ならしめたものとはいえず、従つて往来妨害罪は成立しない旨主張する。
しかしながら、前掲の司法警察員萩原毅・同松岡明各作成の各実況見分調書によれば右県道成田・滑河線は判示のとおりその幅員は約五・九メートルであるところ、本件荒海アウターマーカーに向かう車線上に車長約四・二六メートルの本件炎上車両がややななめ横向きに置かれたため、反対車線側に約二メートルの余地を残すのみとなつたこと、前記証人関口天治郎・同神山茂雄・同細川美智子の当公判廷における各供述によれば、右関口がその様な状況にある右同所を自動車を運転して通過した時は、未だ本件炎上車両は炎上していなかつたもので、その後に、火が放たれたものであること、そしてその結果本件炎上車両は少なくとも約一〇分間以上にわたり前述のように激しく炎上していたものであること等がそれぞれ認められ、右事実によれば、同所の交通は物理的には全く不可能とはいえないまでも、著しく困難であつたものというべきであるから、弁護人らの本主張も又採用し得ない。
第八 いわゆる三里塚闘争の正当性の主張について
弁護人らは、新東京国際空港の建設は、その計画・決定・建設及び開港に至る全過程において様々な違法を帯びたものであり、かつ地元農民の生活を不当に破壊するものであつて、この様に行政権が敢えて違法不当な行為を重ねているのに、これを抑止すべき国家機関もその本来の機能を果すことなく右違法不当な行為を追認している様な場合においては、人民は実定法の枠を超えていわゆる抵抗権の行使として、かかる違法不当な行為を是正する権利とその義務を有しており、そのような意味で行なわれている三里塚闘争に対しては、実定法による処罰は許されず、また実定法上も正当行為に該当し、仮に然らずとするも、正当防衛ないし緊急避難に該るものというべきであるから、その三里塚闘争の一環をなす本件各所為も同様に解すべきである旨主張する。
よつて按ずるに、新東京国際空港の建設過程においては、種々妥当性を欠く部分が窺われ、地元住民や被告人らを含むこれを支援する人々が反対することも理解できないわけではないが、しかしながら、抵抗権の理論の是非はさておくとしても、未だ実定法上の枠を超えていかなる反対行動をも正当化する程に違法不当なものとまでは認め難いものといわざるを得ず、また実定法上も本件各所為を正当行為と認めることはできず、正当防衛行為ないし緊急避難行為についても、いずれもその前提となる「急迫不正の侵害」ないし「現在の危難」という各要件の存在を認め難く、従つてこの点についての弁護人らの本主張も又いずれも採用し得ないところである。
(法令の適用等)
被告人石丸・同日向・同根本・同渡部の
判示第一の一の兇器準備集合の所為は刑法第二〇八条ノ二第一項、第六〇条・罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、判示第一の二の所為中現住建造物に放火しようとしたがその目的を遂げなかつた点は刑法第一一二条・第一〇八条・第六〇条に、火炎びんを使用したが生命・身体又は財産に危険を生ずるにいたらなかつた点は火炎びんの使用等の処罰に関する法律第二条第二項・第一項、刑法第六〇条に、判示第一の三の所為中、自動車に放火した点は刑法第一一〇条第一項・第六〇条に、往来を妨害した点は刑法第一二四条第一項・第六〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、火炎びんを使用した点は火炎びんの使用等の処罰に関する法律第二条第一項、刑法第六〇条に、判示第一の四の電話線ケーブルを切断した所為は有線電気通信法第二一条・刑法第六〇条に、それぞれ該当し
被告人山屋の所為中、
判示第二の(一)の兇器準備集合を教唆しこれを(被告人石丸らと)実行せしめた点は、刑法第六一条第一項・第二〇八条の二第一項・(第六〇条)罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、判示第二の(二)の現住建造物に放火することを教唆しこれを(被告人石丸らと)実行せしめたがその目的を遂げなかつた点は、刑法第六一条第一項・第一一二条・第一〇八条(第六〇条)に、火炎びんの使用を教唆しこれを(被告人石丸らと)実行せしめたが生命・身体及び財産に危険を生ずるにいたらなかつた点は、刑法第六一条第一項、火炎びんの使用等の処罰に関する法律第二条第二項・第一項、(刑法第六〇条)にそれぞれ該当するものであるが、被告人石丸・同日向・同根本・同渡部の判示第一の二及び三の各所為、被告人山屋の判示第二の教唆行為は、いずれも一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、それぞれ刑法第五四条第一項前段・第一〇条により、被告人石丸・同日向・同根本・同渡部の判示第一の二の各所為については、いずれも一罪として重い現住建造物放火未遂罪の刑で、判示第一の三の各所為については、いずれも一罪として最も重い建造物等以外放火罪の刑で、被告人山屋の判示第二の所為については、一罪として最も重い現住建造物放火教唆未遂罪の刑で、それぞれ処断することとし、被告人石丸・同日向・同根本・同渡部の判示第一の一及び四の各罪については、いずれも所定刑中懲役刑を、被告人石丸・同日向・同根本・同渡部の判示第一の二の罪及び被告人山屋の判示第二の罪については、いずれも所定刑中有期懲役刑を各選択し、被告人石丸・同日向・同根本・同渡部の判示第一の二の右現住建造物放火未遂罪及び被告人山屋の右現住建造物放火教唆未遂罪は、未遂であるから、いずれも刑法第四三条本文・第六八条第三号を適用して法律上の減軽をし、被告人山屋については右の刑期範囲内で処断することとし、被告人石丸・同日向・同根本・同渡部の判示第一乃至四の各罪は刑法第四五条前段の併合罪の関係にあるので、同法第四七条本文・第一〇条に従い、いずれも最も重い判示第一の三の建造物等以外放火罪の刑に法定の加重をなした刑期範囲内(但し短期は判示第一の二の罪の刑の短期による)で処断することとし、情状について按ずるに、前述のとおり、新東京国際空港建設の過程には種々妥当性を欠く点が窺われるところであつて、派生した諸事態の中には裁判等によつて警察を含む行政側の違法・失当が指摘されたものもあり、このような点からすれば、当裁判所としても、右空港建設に反対し反対運動に参加する者の心情は理解できないわけではないが、しかしながら、それ故に手段を選ぶことなく敢行される犯罪にわたる行為までも容認することはできず、心情は心情として、その犯罪に対しては峻巖なる態度で臨まねばならないものであるところ、本件犯行は既に述べた如く、昭和五三年五月二〇日に右空港が開港したことから、その廃港を目指してのいわゆる一〇〇日間闘争の一環として、前記社青同解放派に属する被告人らによつて組織的・計画的に敢行されたものであつて、結果的には目標とされた荒海アウターマーカーの設備には影響がなく、航空機の運航にも支障は生じなかつたものの、その犯行は極めて危険なものであつて、実際にも近隣住民等に及ぼした影響は大きいことが認められ、しかるに、被告人らにおいては、これら右空港と直接の関係を有しない人々に対してまで危険・被害を与えたことについてすら反省の色が窺われないところであつて、その犯情は悪質といわなければならないが、ただ被告人らについては、被告人日向が昭和五二年三月二四日仙台地方裁判所で傷害罪により懲役一年二月・三年間執行猶予の刑に処せられ、本件犯行当時はいまだその執行猶予期間中であつたものであることを除いては、被告人根本・同渡部が罰金刑の前科を有するのみで格別の前科はなく、犯行も結果としてはその主要な部分が未遂に終つていること、被告人石丸・同日向・同渡部については必ずしも主導的な役割を担つたものとはいい難く、被告人山屋についても自らは犯行に加わつていないうえ、その教唆の態様も前述したとおりのものであり、被教唆者である前記永井利夫も従前自らの意思で反対運動に参加してきた者であることなど酌むべき点も存するところであつて、これに各被告人らの本件犯行において果した役割・その生活環境・同種事犯に対する科刑例等諸般の事情を総合・勘案し、被告人石丸を懲役四年に、同山屋を懲役三年に、同日向を懲役四年六月に、同根本を懲役五年に、同渡部を懲役四年に各処することとし、刑法第二一条を適用して、各被告人の未決勾留日数中被告人石丸については三六〇日を、同山屋については三〇〇日を、同日向については四五〇日を、同根本については三〇〇日を、同渡部については一〇〇日を、それぞれ右各刑に算入し、被告人山屋については刑法第二五条第一項を適用して、この裁判確定の日から五年間その刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い、証人北原鉱治に支給した分はその各五分の一宛をそれぞれ被告人石丸・同山屋・同日向・同根本・同渡部の負担とし、証人永井利夫に支給した第一一回公判期日分はその各四分の一宛をそれぞれ被告人石丸・同山屋・同日向・同根本の負担とし、証人萩原毅・同本間盛男・同上原操・同相徳哲朗・同井上憲一・同山下清己・同伊藤健治・同宮野忠慰・同関口天治郎・同鈴木芳郎・同大須賀源司・同金沢実・同小出多〓男に各支給した分並びに証人永井利夫に支給した第八回及び第九回公判期日分はその各三分の一宛をそれぞれ被告人石丸・同山屋・同日向の負担とし、証人松岡明・同林文男・同斉藤登・同細川美智子・同神山茂雄に支給した分はその各二分の一宛を被告人石丸・同日向の負担とし、証人永井利夫に支給した被告人渡部に対する昭和五五年(わ)第一一四号事件第一回公判期日分は被告人渡部の負担とする。
よつて主文のとおり判決する。